創作SNSの「note」に、はたらく人を応援する写真とメッセージを記事として投稿しています。
こちらには「note」に投稿した記事の背景やエピソードをエッセイとして綴っていきます。
タレント活動を休止してカナダに留学した光浦靖子さんの記事に、「肩書きでなく繋がる喜び」というフレーズがありました。
肩書きというのは他人からわかりやすい、強力なアイデンティティですが、肩書きを着ている人そのものが表されるものではもちろんありません。肩書きに表されているのはどちらかというと周りからの期待値です。
役職であったりポストであったりというものは、その借り物のアイデンティティを被って、その役になりきっていくことです。そこには自分というものを抑えていくことも多かれ少なかれ求められます。自ら切り拓いた肩書きであれば話は別ですが、少なくとも会社に雇われているうちは、その役職は自分のものではありません。
これを窮屈と思うか思わないかは人それぞれですが、誰にもに共通して言えることは、一生着続けられる肩書きというのはほとんど無く、大抵どこかでその肩書きを手放すことになるということです。
過去の名刺が捨てられず「元部長」という肩書きの名刺を配る人の笑い話を耳にしますが、これは借り物のアイデンティティと本物のアイデンティティを見分けられない好例だと思います。
さきほどの記事で光浦さんは語ります。
「私にはこんな夢がある、こんな勉強をしてきたということを見せていく方が評価される。だからカナダに来て私も変わりましたね。自分にはこういうキャリアがあるということを、自分の口でちゃんと言えるようになった。」
人を見る眼が肩書きのようなものに頼っていると、人間そのものが持っている熱量とか、心から突き動かされる動機、はたまた使命感といったものに鈍感になってしまいます。
そういう意味で、肩書き抜きで人と繋がり、ありのままのその人を見るということが、シンプルにその人の魅力を感じ取ることができ、一生続く人間関係が繋がっていくのだと思います。